2018.12.24公開
「夢の中へ」の続き。
力の使いすぎで目覚めなくなった久森とそれを叩き起こしに行く矢後くんの話。
起きない久森を叩き起こしに言った矢後と後日談。
入院してもう一週間になる。矢後の傷の治りは早く、明日には抜糸する手筈になっているのだが、久森は目覚めないままだった。
面会時間は常に久森の母親がいて、ヒーロー仲間や矢後は近づけない。御鷹と斎樹が面会時間中に会いに行ったところ、追い返されてしまったと言っていた。今の彼女はヒーローを強く嫌悪しているようだった。特に久森をヒーローにした張本人である矢後は確実に嫌われているので、面倒ごとを避けるために近寄らないようにしていた。
面会時間が終わって、久森の母親が帰った後に久森の病室に行くのが最近の矢後の日課になっていた。よく矢後や他のヒーローたちが運び込まれる病院だからか、八草中央病院の人間もそこは理解があって、面会時間が終わっても、ヒーローたちを病室に案内してくれたが、馬鹿騒ぎをすれば、容赦なく怖い顔をした看護師がつまみ出していた。
夕刻になって、窓から赤い日差しが入ってくるが、久森は眠っている。母親が髭を剃るなどの手入れをしているようで、久森はいつも身綺麗だった。
「こんなに寝たら、さすがに俺でも飽きるわ」
暇さえあれば寝ている矢後でも一週間ぶっ通しで寝たことはない。今回の怪我も三日で目が覚めた。こいつ、もう一生分寝たんじゃないか。ベッド脇に座り込み、じっと顔を観察する。見れば見るほど、あの母親によく似ていると思う。線も細いし、背の高い女だと言われれば信じてしまいそうだが、生憎声は低いし、見たことはないが股間には男のシンボルがついているはずである。久森晃人は間違いなく男だった。
しかし、風雲児高校は男子校である。一部の舎弟にとっては中性的な顔をしているだけの久森すらもストライクゾーンらしく、矢後もそのうちの一人に久森副長のかわいさについて熱弁されたことがある。迷わず、「キモい」と一蹴しておいた。
矢後にとって、久森は未来視ができる便利な存在であるが、同時に口うるさくもあった。矢後が非常識な言動や行動を起こせば、容赦なく諌めてくるし、ため息がうるさくもあった。初めの頃はもう少しビクビクしていたのだが、その頃の慎ましさはもう存在しないらしい。矢後は余命宣告をされている不良だというのに、今となっては扱いがすっかり雑だった。
久森と行動することに慣れてしまったから、彼の小言がなければなんとなく落ち着かない。
「早く起きろ」
柔らかそうな頬をツン、と指で触れてみる。勿論、何も変わらなかった。矢後がこんなことをしたとなれば、「な、何やってるんですか……」とドン引きしながら頬を押さえるところだろうが、スヤスヤ眠ったままだ。久森が黙っているのは本当に調子が狂う。
「矢後くん」
「おー、矢後もこっちにおるんか」
病室の扉が開き、部屋の電気が点いて、神ヶ原と指揮官が入ってきた。ベッド脇に座り込んで、久森の頬をツンツンしている矢後を見て、神ヶ原は目を丸くしていたが、指揮官は気にも留めていないようだった。
「よう寝とるなぁ。ワシもこれくらい寝たいわ……」
「……一週間もぶっ通しで寝たら、さすがに俺もあんたも飽きるわ」
毎日夜遅くまで仕事をしている指揮官はぐっすり寝ている久森が羨ましいのか、ぼやく。
「矢後くん、昼間はなかなか捕まらなくて苦労したよ。夜はここにいるって本当だったんだね。君に久森くんの代わりに書いて欲しい書類があるんだ」
「あ?」
書類仕事はほとんど久森に任せていたので矢後にはイマイチピンと来なかった。
「俺、書き方分からねーんだけど……」
「なんでもかんでも久森くんに任せるからだよ。でも、これからは一人でやらなきゃ。書き方は教えるから、書いてくれない? 久森くんのヒーロー登録解除届」
神ヶ原が茶封筒からそれを取り出し、矢後に突きつける。
「久森くんのご両親に強く言われてね……。僕としても、久森くんの存在は本当に惜しいんだ。未来視の力も勿論あるんだけど、何より矢後くんの代わりに連絡事項を聞いて、覚えててくれるし、矢後くん怒ってくれるし、矢後くん引っ張ってきてくれるし、矢後くん怒ってくれるし、矢後くんの代わりに招集にも来てくれるし……だから、本当は辞めさせたくない」
「神ヶ原、どんだけ俺にウンザリしてんだよ」
「でも、久森くんがヒーローになったいきさつがいきさつだろう? 本人の意思ほとんど関係なく、君がここまで連れてきたんだから。だから、こちら側としてもあまり強くは出られないんだ。だから、お願い」
「ホンマは久森の意思を尊重したいところやねんけど、これやからなあ。親の言うことが一番に通ってしまうんや」
「……そーかよ」
久森のヒーロー登録解除には神ヶ原も指揮官も乗り気ではないようで、ため息まじりだった。
しかし、久森は日頃からヒーローを辞めたいとぼやいていたから、起きていても一緒だろうとは思う。矢後としては、彼の好きにすればいいと言いたいところだった。
(どうにも納得いかねえ)
いざ、久森のヒーロー引退が目の前に突きつけられるとなんだかモヤモヤする。これまでずっと一緒に戦ってきたのに、いきなり一人にされるのはなんとなく嫌だ。しかも、それは本人の意思と関係ないところで行われようとしている。よりモヤモヤした。
「夢の中がそんなに楽しいんかなぁ」
「は?」
「なんで起きひんねんやろって思ってな。起きたら、辛いこともいっぱいあるし、ヒーローとして戦わなあかん。未来視の能力があれば、視たくないものもいっぱい視てまうやろうし……久森にとって生きることって辛いことやったんかな。やから、こうやって殻に閉じこもって、心ごとひきこもってしもたんやろか」
久森って顔はかわいいけど、基本暗い陰キャやろ? と付け加えて、指揮官が呟いた。
「カラに閉じこもって、心ごとひきこもる……」
「随分臭いこと言いますね。でも、人生辛いことがいっぱいある。それでも生きていかなきゃならないからなぁ。久森くんはまだ若くて、長い道のりが残されてるんだから」
明日をも知らない矢後は未来のことなんて考えたことがない。明日の朝を自分が迎えられるかどうかすら分からないからだ。だから、延び続けているものの、残された時間を楽しいか楽しくないかで日々を生きている。
しかし、多少先の未来であっても久森は未来を視ることができる。明日を迎えることができる健康な身体がある。未来のことが視えて、それから先のことを考えられるからこそ、こんな風に殻に閉じこもってしまったのだろうか。現実から逃げるかのように。
「ホント、ふざけんなよな。勝手にめんどうなことになりやがって」
「矢後くん、いきなりどうしたの?」
「あんたらの話聞いてたら、どうにもこいつにイライラしてきたわ」
「君の怒りはいきなりすぎて怖いわ」
矢後はどうしたって、死に追われ続けている。人間誰でも死に追われているものだが、多少距離がある。しかし、気管支に爆弾を抱えている上、何かと矢後はその死がすぐ背中に張り付いているレベルで存在している。それをどうにかこうにか、避けたり、少し早く走って距離を開けたりして、死の危険を避けているのだと思う。だが、必ず久森よりずっと先に死ぬだろう。
だから、先のことを不安に思う久森の気持ちが解らなかった。そんなことができるのは明日がある人間だけだ。
久森は自分勝手だ。勝手に限界以上に力を使って、勝手に昏睡状態に陥って、勝手に生きることを諦めて、勝手にヒーローを辞めさせられようとしている。これ以上自分勝手な奴を矢後は見たことがなかった。
「俺はそんな書類、絶対書かねえ。俺、久森の名前、難しくてよく分からねえから書けねえし」
「えっ、矢後くん?」
「アホすぎちゃう……?」
「……分かってても書かねえ。久森の親がどう思おうが、どうするかどうか決めんのはこいつだろうが」
「矢後くん……」
書類をビリビリに破った矢後を見て、神ヶ原が感激したように口を押さえる。辞めて欲しくなかった神ヶ原だってそうしたかったに違いない。
「もっとも、起きたところで俺が自分勝手なことはさせねえがな……」
「矢後くん……」
破った紙を踏みつけにして、ニヤリと悪どい笑みを浮かべる矢後を見て、今度の神ヶ原はため息を吐いていた。相変わらずの暴君ぶりだ。
「……機嫌良さそうやね」
「どこがですか……?」
「俺はずっと喧嘩ができなくてイライラしてんだよ。おい! 聞こえてんだろ? お前の親が何を言おうが、もうお前に逃げ場はねえからな。そんなこと、お前ならもうとっくの昔にわかってんだろうが!」
ガッ、とベッドの足に矢後が一蹴り入れる。
「ちょ、ちょっと矢後くん……」
「だから、さっさと目を覚まして、俺の隣でぼやけ!」
神ヶ原が止めるのも聞かずにもう一度、ベッドに蹴りを入れる。外まで音が聞こえていたのか、怖そうな看護師が間髪を入れずに現れた。
「ちょっと、矢後くん何してるのよ!」
「このクソねぼすけを起こしてたんだよ」
「そんなことで起きるはずないでしょ! もうそろそろ夕飯だから、部屋に戻りなさい!」
矢後相手でも一歩も引かない看護師はそうまくし立ててから、病室を去って行った。なかなか肝が据わっている。
「めっちゃどうでもいいこと言っていい? いっつも思うねんけど、あの人めっちゃ怖ない?」
「確かに怖いですけど、本当にどうでもいいですね……。矢後くん、そろそろ病室に戻りなよ」
「ワシらも帰るからな。明日また来るから、生きとってな。あ、これでジュースでも買い?」
「百円でジュース買えねえんだけど」
指揮官は矢後の手にポケットの中で温まった百円を置くと「ほなな」と言い残して、病室を後にした。なお、矢後の呟きはガン無視である。ちょくちょくこういうことをする男だった。
「はあー、あの人は……。くれぐれも寝てる久森くんに危害は加えないようにね。それじゃあ」
指揮官を追いかけるようにして、神ヶ原も病室を出て行った。
窓の外はすっかり暗くなっていた。随分長くここにいたものだ。ベッドで寝ている久森の顔をもう一度見るとこの間のように涙が一筋溢れていた。
「やっぱり聞こえてんじゃねえか」
ぼやきながら、また涙をぬぐってやる。楽しい夢の中に閉じこもっているくせに何故、涙など流すのだろう。
***
深夜、矢後にしては珍しくイマイチ寝る気が起こらなかった。ベッドの上でしばらく寝る努力をするが、結局眠れない。テレビ台の下にある冷蔵庫を開けるが、置いてあった飲み物はすでに飲み干してしまって、何も入っていなかった。舌打ちをしてから、ポケットに手を突っ込むと指揮官からもらった百円玉が入っていた。
(だから、百円じゃ缶ジュース一本買えねえんだっつの)
心の中でぼやきながら、財布から五十円玉を取り出すと談話室前の自販機まで飲み物を買いに病室を抜け出した。八草中央病院の看護師は内科、外科問わず、みんな顔なじみだが見つかると一番面倒な怖い看護師が夜勤にいないのでいくらか気軽に夜の病棟を歩き回ることができた。彼女以外の看護師はちょっと注意されるだけで終わるか、不良が怖くて無視するかのどちらかだった。詰所の脇も気軽に歩ける。今は二年目の看護師が書類仕事をしているところだ。歩いている矢後にまったく気づかない。
自販機で適当に水を買い、病室へ向かっていると詰所の最も近くにある久森の病室の前で自然と足が止まった。何故かは分からない。どうせ寝ているだろうと思いながら、戸を開けるとすぐに閉める。
灯りが落とされた病室に月明かりが差し込んでいる。窓を見れば、向かいの病棟の隙間から満月が輝いていた。
「やっぱり寝てんのかよ……」
顔を覗きこむと久森は相変わらず眠っている。ここまで来ると夕方のような騒動を起こす気にもならず、ペットボトルの蓋を開けて、水を一口飲むとしばらくぼんやり久森を眺めることにした。
相変わらず眠っているが寝息は聞こえるし、胸も上下している。ずっと寝てるけどこいつも生きてるんだなあ。ぼんやりそんな当たり前のことを考えていると矢後も徐々に眠くなってきた。久森の寝息につられたのだろうか。ペットボトルを床に置いて、久森の顔を覗きこむその体勢のまま、目を閉じた。どこでも寝られるのが矢後の自慢であった。
身体が水の中に沈み込んでいく感覚に矢後が目を開けると海中にいた。海中なのに息ができるあたり、夢だ。格好も親が持ってきた寝間着ではないし、風雲児の制服姿であった。脇腹や肩に縫合糸がある気配もなく、快適に動くことができた。
しばらく適当に泳ぎ回っていると海底に大きな貝があるのを見つけた。
(ここに久森がいる)
夢の中だからか、すぐにそう理解した。貝は海中で静かに閉ざされている。これだけ閉ざされていれば、外からかけられる声はあまり聞こえないのも仕方ないだろう。しかし、今の矢後は貝のすぐ傍にいる。夢の中なら看護師もやって来ないし、いくらでも大声が出せる。
「おい! お前、さっさと起きろ! 何寝てんだ!」
「ちょ……矢後さん?! 人の夢の中にまで入って来るとかどんだけ非常識なんですか?!」
ガンガン貝を叩き、蹴りを入れながら喚いていると中から声が返ってきた。久森のものだ。
「僕のことはほっといてください! もうやなんですよ! ヒーロー活動も未来視も矢後さんも!」
「あれはお前が勝手に視ただけだろうが」
「人が気軽にやってると思って……。あのとき、めちゃくちゃ頭痛かったんですよ。終わった後に意識が飛んじゃうくらい。どうして僕もあそこであんな無茶したんだろう。そんなの似合わないのに……。ここにいれば僕はこれから何に悩むこともなく、ずっと静かに暮らせるんです……だから、ほっといてください!」
勝手すぎる久森の回答に矢後はイライラした。他のヒーローたちは彼のことを心配している。久森の母親も毎日病院に通い、甲斐甲斐しく彼の世話を見ている。しかし、矢後にそんな彼らのことを考えたことがあるのか、などという説教くさい考えはまったくない。
ただ、イライラする。矢後としては久森の好きにすればいいと思うのだが、久森がいないと自分がどうにも落ち着かないしイライラする。自分がイライラするから、今ここまで叩き起こしにきたのだ。
「別に俺はお前の好きにすればいいと思うけど、お前がいないとイライラすんだよ。だから、起こしに来た」
「は? 矢後さん、どんだけ自分勝手なんですか?! 人間の心あります?」
「自分勝手なのはお互いさまだろ?」
ポケットに手を突っ込むと七十一番の数字が記されたリンクユニットがちゃんと入っていた。片手でそれを割ると輝く光に包まれて、黒い、風雲児の戦闘服姿になる。得物の大鎌を具現化させる。
「いい加減起きろ。お前は俺の隣でずっとぼやいてりゃいいんだよ」
「は?」
矢後の身の丈ほどある大鎌を蹴り起こして、大きく振り上げると高く跳躍した。
「オラ、初めからお前には逃げ場なんてねーんだ! どこに逃げようが、どこに隠れようが、どこまでも追いかけてやる。いつまでも逃げてねーでさっさと起きやがれ!!」
大鎌が貝にぶち当たる。ピシピシ、と音を立てて、貝にヒビが入った。ヒビが入って弱った部分に容赦なく正拳突きすると大きな穴が開く。中で三角座りをしていた久森が目を丸くして、矢後を見上げている。
「おー、やっと起きてるところが見られた」
「む、むちゃくちゃだ……こんなの……」
「ほら、行くぞ」
久森のパーカーのフードを掴むと首が締まるのも構わずに貝の外へと引っ張り上げる。「ぐえ、苦しい」と久森が呻くがお構いなしだった。
「あーー……もう、分かりました。分かりましたよ。僕の負けです」
無理矢理外へ引っ張り出されて、久森はとうとう観念したように大きなため息を吐いた。
「へえ、えらいあっさりしてんな」
「まさか、こんなところまで来られるなんて思ってもみませんでしたから。ていうかなんで矢後さん、こんなところまで来られるんですか」
「知らね。なんか来てた」
「……わー、すごいふわっとしてますねー」
何とも言えない矢後の語彙力に呆れたのか、久森は再びため息を吐いた。久しぶりに見る表情だった。矢後の隣にいると幸せなどすべて逃げたのではないかと思うほど彼はため息を吐いている。だが、矢後としてはそれでいいのだ。
***
久森の目覚めは突然であった。目を覚ました彼が初めに見たものはよく見慣れた、八草中央病院の天井であった。矢後と付き合っていれば、必然的によく見ることになってしまう。
それにしても、とんでもなく長い夢だった。夢で久森は貝の中にひきこもって、ずっと一人で静かに過ごしていた。ずっとこうしていたいと思っていたのだが、突然外から矢後の声が聞こえてきて、貝をぶち破って、久森を引きずり出されてしまう。初めと対照的に終盤はなかなかバイオレンスに満ちあふれていた。
(そういえば、僕、イーターと戦って倒れて、ここに運ばれることになってたんだっけ。今日何日だろ……次の日くらいかな?)
最後に行った未来視で矢後と自分が病院に運ばれて、助かるところまでは視ていた。すでに脇腹を抉られていた矢後をオトリに使うあたり、自分はとんでもない後輩であることは間違いない。最後に見たときは爪で肩を刺されていたし、出血量もすごかった。死なない方がおかしいが、生きてしまうのが矢後勇成という男である。
(あの人もなんで死なないんだろ……。ていうか、僕なかなか矢後さんにひどいことしてるな)
内心自嘲しながら寝返りを打つとベッドに突っ伏して矢後が寝ていた。
「は?」
思わず声が出る。なんでこんなところにいるんだろう。ていうか、この人本当にどこでもどんな体勢でも寝られるんだな。矢後が傍にやってきたから、夢に出てきたのだろうか。色々なクエスチョンマークが脳裏を飛び交った。
「あー……」
ベッドの上で混乱しているうちに矢後まで目を覚ました。至近距離でバッチリ目が合って、すごく気まずい。
「起きてる」
「……おはようございます」
自分でも驚くくらい掠れた声が出た。声が出しにくいし、身体もギシギシする。どれくらい眠っていたのだろうか。
「一週間も寝るとか寝すぎだろ、お前。俺でもしねーわ」
「……そんなに寝てたんですか、僕」
せいぜい長くて三日くらいだろうと思っていたが、一週間も寝ていたなんて驚きだ。矢後に色々訊ねようと頭の中を整理するが、一週間も寝ていたからか、うまくいかない。というか、すごく眠い。
「あー、部屋まで戻んのだる。ここで寝るわ」
「は? 何してるんですか?」
ベッドの上は点滴の管、心電図のコード、導尿の管やら何やらでごちゃごちゃしていたが、お構いなしに矢後が布団に入り込んでくる。一週間ぶりに起きて身動きが取れない久森はなすすべもない。
「今看護師さん来たらどうするんですか。ちょっと、ちょっと? ……もう寝てる」
久森の心配をよそに矢後はすっかり熟睡していた。ただでさえ、病院のベッドは狭いというのにはっきり言って邪魔だ。しかし、熟睡している矢後を起こすのは至難の技である。大人しく従うしかなかった。
「はー……本当に自分勝手だなぁ」
抱き枕よろしく抱きつかれても、うまく動けない久森に勝ち目はない。そもそも、うまく動けたところで一緒だ。大人しく、抱きつかれたまま重い目蓋を閉じた。
***
久森が目覚めた次の日に抜糸をした矢後はすぐ退院していった。今、病院に残っているのは久森だけである。一週間も眠り続け、身体の筋力が衰えてしまったため、しばらくリハビリを受けていた。しかし、若い久森は順調に元の勘を取り戻しつつある。暇なときはなるべく動き回るよう主治医から言われているため、病院内をうろうろしていた。
「よう」
病棟のシャワー室を借りてから、大部屋の自分のベッドへ戻ると真昼間にも関わらず、矢後が寝転がっていた。久森を見るなり、片手を挙げる。学校はどうした。内心そう思いながら、濡れた髪を拭く。
「学校はどうしたんですか?」
「俺今、合宿所だから」
「訓練とパトロールはどうしたんですか……」
はあ、とため息を吐くと割り込んでくる声があった。
「ワシらが連れてきた」
「たまには仲間のお見舞いもしろってね。だから小言はやめてあげてよ」
「指揮官さん、神ヶ原さん」
カーテンの隙間から指揮官と神ヶ原が入ってきた。
「そうですね。そのことについてはお二人のお墨付きがあるなら何も言いません。でも……いきなり人のベッドで寝るっていうのはだいぶ非常識だと思うんですけど……」
「ベッドは寝るためにあんだよ」
「はー……またそんなこと言って……。ていうか、これでも僕、入院患者なんですけど、患者を立たせて、良心が痛んだりしないんですか?」
「え、何?」
「はあ……まったく」
矢後のまったく反省しない態度に久森はため息を吐く。二人の相変わらずのやりとりを見て、指揮官と神ヶ原は笑いを禁じ得ない。
「なんで笑ってるんですか? そんなにおかしいですか、これ」
「いや、相変わらずだなぁって思って」
「なんか、バカにされてるみたいでやなんですけど……」
「まあまあ、ええやん、別に。あ、明日退院するんやっけ」
「そうです。怪我の具合も、身体の調子も戻ってきたので……あ、そういえば神ヶ原さん。今度、訓練施設を使わせてもらっていいですか? 術式の勘も鈍っていると思うので、少し練習させてもらいたいんです」
「ああ、全然構わないよ。珍しいな、君が術式の練習なんて」
久森の頼みに神ヶ原が目を丸くする。サボりの常習犯で派手な喧嘩以外に興味のない矢後も家にひきこもりがちでゲームが大好きな久森も、風雲児は二人とも訓練が嫌いだった。どちらも武居がいるときはどやされているのをよく目にする。希少な二人の共通点だった。
「せっかく辞められると思ったのに、誰かさんのせいで辞められなくなっちゃいましたからね」
久森がちらっと矢後を睨む。しかし、どこ吹く風でベッドで目を閉じていた。
「ワシらも久森がおってくれてホンマに良かったって思うわ。風雲児に矢後しかおらんのは色々つらい」
「ですね……。でも、本当に良かったの? せっかく辞めるチャンスだったのに」
「毎日毎日逃げたいですけど、もう逃げ場なんてどこにもないって悟りました……。それに、ヒーロー活動のすべてが嫌いなわけじゃないですから。僕の元々の生活ではとても出会えなかったような、色んな人とも出会いがありましたし、そんなに悪くないかなって……」
まさに世紀末を絵に描いたような風雲児高校への入学を決めたとき、久森は三年間誰とも会話をすることがないだろうと思っていた。元々一人が好きだし、何かと人を避けがちだったので、別にそれは構わなかったのだが、たまたま久森が未来視の能力を持っていて、たまたまヒーローとしての血性を持っていたがばかりに矢後によってこちら側へ引っ張り込まれてしまった。初めこそ逃げたくて逃げたくて、毎日を過ごすのがつらかったが、今ではすっかり矢後の扱いにも、学校での扱いにも、この非日常にも慣れきってしまっている。
逃げたいことは多々あるものの、御鷹や斎樹のような良い友人にも恵まれたし、志藤や頼城のような頼れる存在もできた。みんな、ヒーローにならなければ、出会うことはなかっただろう。
「そんな風に思ってくれてるなんて、嬉しいなぁ」
「陰キャやから友だち少ないもんな……」
「いや、それ今関係なくないですか? まあ、もうちょっと矢後さんも志藤さんや頼城さんを見習って欲しいですけどね。仮にも風雲児のリーダーなんですし」
だらだら眠っている矢後を見ながら、久森はまたため息を吐く。志藤は紛れもなく白星の大黒柱でヒーロー全員のリーダーでもあるし、頼城もナルシストな面に目を瞑れば、矢後よりずっと頼れる男である。崖縁の戸上もおかしな言動、行動は多いものの、どっしり構えて揺るがないところがあるからみんな信頼している。みんな、喧嘩に興じるときだけイキイキしていて、後は久森に丸投げ状態の矢後とは違う。
「久森……そんなにも俺を……。矢後で困ったときはこの頼城を頼るといい!」
「うわ、頼城さん!」
突然カーテンが全開になり、件の頼城が姿を現した。隣に斎樹もいる。突然騒がしくなって、他の患者がカーテンの隙間からチラチラこちらを見ている。
「頼城、大部屋なんだから静かにしろ」
「ああ、これは失礼した。患者諸君」
そっと斎樹に言われ、頼城が頭を下げると患者たちはカーテンの奥へ戻っていった。寝ている矢後はともかく、指揮官に神ヶ原、頼城と斎樹とメンツが増えてきた。静かにするのは難しいだろう。
「談話室に移りましょうか? 人数、増えてきたんで……」
「ほなら、ワシら帰るで?」
「僕も指揮官さんも溜まってる仕事も片付けないといけないしね」
「ここだけの話、二人とも書類の提出期限がヤバヤバやねん」
「それを放置してここに来たんですか……」
矢後に負けず劣らず、指揮官と神ヶ原もなかなか呆れた存在である。
「でも、ホンマありがとうな、ヒーロー続けてくれて。あんなに辞めたいって言ってたのに。これからもそれなりに期待してるで」
「指揮官さんがそれを言うのはずるいですよ……より辞められなくなってしまう……」
「僕からも礼を言うよ。あ、ここだけの話、君が寝ている間にヒーローを辞めさせるって話があったんだ。君の親御さんに言われてね。でも、それを一蹴したのは矢後くんなんだよ。それを決めるのはこいつだろうがって言って。矢後くんなりに思うところはあったんじゃないかな」
「矢後さんが? そうなんですかね……あの人のことだから、僕がいなくなるとパシリがいなくなって困る、みたいな感じなんじゃないですか? 自分がイライラするから僕を叩き起こすくらいの人ですから」
「君は矢後をなんやと思っとるんや」
「まあ、君たちらしくていいと思うよ。あっ、指揮官さん、そろそろ本当に帰らないと!」
「せやな! ほなまた!」
「はい、今日は忙しい中、来てもらってありがとうございました」
大人二人は慌てて病室を去っていった。控えていた頼城がやっと口を開く。
「指揮官くんたちも忙しいな……」
「いや、あれは忙しいというよりも自業自得だろう」
「ははは……」
未だ自己管理ができていない大人たちを思って、斎樹はため息を吐き、久森は苦笑いを浮かべた。
「斎樹くんも頼城さんもありがとうございます。僕、明日退院するのに……」
「気にするな。やっと目覚めたのになかなか会いに来られなかったからな。御鷹も来たがっていたんだが、家の用事があったから来られなかった。今度、顔を見せてやってくれ」
「うん、そうするよ」
「すまない……せっかく見舞いに行くのだから、大きな花束でも持ってこようと思ったのだが巡に止められてしまってな……」
「気を遣わなくていいですよ。花瓶もないですし」
「いいや、頼城ならこの大部屋をすべて覆い尽くすくらい花を用意するだろうから……」
「あ……」
「何を言っている。気持ちを表現するにはそれくらい必要だろう? これまでにも持ってきたかったんだが……」
「……頼城さんのその気持ちだけで十分です」
大部屋いっぱいの花など本当に持ってこられたら大惨事である。これまでも斎樹や霧谷が止めてくれていたのだろう。この二人にはよく感謝せねば。
「久森は相変わらず謙虚で無欲だな……お前とは大違いだ、矢後!」
「いきなり蹴り落としますか……助かります」
ため息を吐いたかと思えば、頼城が久森のベッドで寝ていた矢後を蹴り落とす。寝ていて受け身が取れなかった矢後はしたたかに肩を打ったが、鬱陶しそうに身を起こした。
「さっきからうるせーと思ったら、うるせーのがいるな……」
「そのベッドは病院の患者が寝る場所だ。お前はもう退院しているだろう。さあ、久森。思う存分寝るといい!」
「あー、だる」
「もう身体は大丈夫ですから、別に構わないんですけど……。頼城さんも来てるし……」
「いいや、無理は良くない。頼城のことは気にせず、座るくらいはしていろ」
「ありがとう」
斎樹に言われて、久森はベッドの縁に座った。矢後は新たに椅子に腰掛けた。
「それにしても、本当に目が覚めて良かった。原因不明で一週間も眠っていたなんて、ただごとじゃないからな。後遺症の心配もないそうで何よりだ」
「起きてからしばらくはなかなか話せないし、身体もうまく動かなくて苦労したけどね……。なんとかここまで来れて良かったよ」
「お前が起きなかったのは一体何が原因だったんだろうな。やはり、未来視の使いすぎか? 六回もやったらしいじゃないか。矢後さんも矢後さんで脇腹を抉られた上に肩も爪で刺されていたし、矢後さんも久森も無茶しすぎじゃないか?」
「まったく……どちらもよく死ななかったものだ。矢後は相変わらず悪運が強い男だな。まあ、あいつはともかく……久森、命に関わる無茶はあまり感心しないぞ」
「……ははは、すみません」
ラ・クロワの二人に少し咎めるような視線を向けられて、久森は苦笑いする。矢後は椅子に座ったまま寝ているのか、腕を組んだまま俯いていた。
「僕が目覚めなかったのは未来視のこともあると思うけど、一番大きいのは僕の心の弱さだったんじゃないかなあ……」
「……心の弱さ?」
「寝てる間、ずっと長い夢を見てたんだ。僕は海の中の貝にこもって、ただただ静かに、大人しく過ごしていた。すごく居心地が良くて、ずっとそうしていたかったんだけど、そこに矢後さんが現れたんだ」
「夢の中に矢後……悪夢だな」
「まったくですよ、ホント。現れるなり、外から貝をガンガン蹴ってきて、「俺がイライラするから早く起きろ」とか騒ぎ出して、矢後さんがイライラしてもはっきり言って僕知らないし、僕も反論はするんだけど、ひとっつも聞いてくれない。最終的にはリンクユニット割って、大鎌で貝を叩き割ってきて……僕、貝から引っ張り出されちゃったんだよね……。それで、やっと僕は一週間の眠りから目覚めたんだ」
話し終えて、久森は一つ息を吐く。
「なかなか壮絶な夢だな……。でも、矢後さんのお陰で久森は目覚めることができたわけだな」
「そういうことになるのかな……。起きてからもひどかったなぁ。深夜なのに何故か矢後さんが僕の病室で寝てるし、部屋戻るのだるいとか言いながらベッドにまで入ってくるし……。見かねた看護師さんが追い出してくれたんだけど」
「矢後さんは猫か何かなのか?」
「ベッドに矢後が入ってくるなんて、起きてからも悪夢ではないか! 心中を察する」
「ええ、本当に……。矢後さんは自分勝手なんですよ、どこまでも。夢の中でお前に逃げ場なんてないって言われました。僕がどこに逃げようが、あの人は地の果てまでも追いかけてくるんでしょうね」
夢の中で言われたことを思い出して、大きなため息を吐く。何故自分にそこまで執着するのか、まるで解らないのだが、矢後に目をつけられた以上、もうどうしようもないのだと言うことは解る。
「僕は本当はそういう矢後さんから逃げたかったのかも知れない。あと、やっぱり静かに平和に暮らしたい。だから、夢の中はすごく魅力的だったんですよね。矢後さんもいなくて、静かに過ごせて……。そういう心の弱さから目を覚ますことができなかったのかなあ……。まあ、結局矢後さんに叩き起こされたんですけど」
チラッと矢後を見やる。まだ寝ている。
「眠り続けたのは矢後さんのせいで、夢にまでやってきた矢後さんに叩き起こされたということか……? よく分からない。風雲児は非科学的すぎる」
「僕でもよく分からないよ……」
「でも、俺としては矢後さんに感謝だな。また目を覚ました久森に会うことができた」
「斎樹くん……ありがとう」
久森の話を聞いて、首を傾げていた斎樹だが最終的には微笑んでくれた。結果的に目覚めることができたのなら、矢後には感謝するべきだろう。
「よし、久森の退院祝いは明日、合宿所でエグゼクティブに祝うとしよう! さっそく、宗一郎や正義に……」
「すみません、明日はちょっと……」
頼城の気持ちは嬉しいが、退院祝いをみんなでされるのは一人を好む久森にはキツい。そもそも、久しぶりに親子三人で食事しようという話になっていたのだ。
「そうか、残念だ……」
「俺のときにはなかったけど?」
「ああ、矢後さん起きたんですね」
いつの間にか起きていた矢後が欠伸をしながらぼやくのが聞こえた。三人とも彼に注目する。
「矢後の入院はいつものことだろう? する必要はない」
頼城の言うことはまあまあその通りである。風邪をこじらせただけでも入院し、ことあるごとに検査入院し、また、ヒーロー活動の大怪我でも入院している。いちいちその度にお祝いなどしていたら、キリがない。
「まあ、俺も久森の気持ちわかるわ。いらねーし、頼城の退院祝いとか」
「貴様、人の気持ちを踏みにじるつもりか?!」
「久森もいらねーって言ってんだけど?」
「ええ!? 僕を巻き込まないでくださいよ! 別にいらないわけじゃなくて、明日は親が来て、一緒に食事するだけで矢後さんとは違うんです」
二人の口喧嘩にいきなり巻き込まれて、久森は慌てて弁解する。斎樹は絶対に巻き込まれたくない、と言わんばかりに半歩下がっていた。
「ほら、違うと言っているぞ! 第一、お前は戦場での注意が足りていないのだ! 何度かお前の大鎌で首を切られそうになったと下級生から苦情が出ている!」
「知らねーよ、んなもん避けろ。久森は避けてる」
「あの、僕は矢後さんの攻撃パターン視てますからね……。視てなくても慣れてるし……。それでももうちょっと注意してくれればなって思いますけど」
「お前には重式武器を持つものとしての自覚が足りていないのだ!」
「うるっせえ、俺は派手な喧嘩がしたいだけなんだよ。久森、お前はどっちの味方なんだ、あ?」
「今は頼城さんです」
「見捨てられたな、矢後勇成!」
「テメェ……退院したら絶対泣かす……」
身内にも見捨てられた矢後を見て、ははは、と頼城が高笑いをする。矢後に恐ろしい目で睨まれるが、一体どんな目に遭わされるのだろうか。まあ、明日には忘れているだろうが。
「頼城、とにかくお前が気に入らねーわ。一発殴らせろ」
「野蛮極まりないな。お前は幼稚園児かと思っていたが、これではもうサルだ。サルにも失礼かもしれないがな!」
「言いやがったな? はー、最近大型も出ねえしウズウズしてんだわ。遊んでやるよ」
「なるほど……望むところだ、受けて立とう!」
いよいよ、二人の間の空気が剣呑なものに変わっていく。
「頼城、ここは病院だぞ」
「いいよ、斎樹くん」
見兼ねた斎樹が止めようと口を開くが、久森はこの場を収めるのに一番最適な存在を知っていた。
「ちょっと矢後くん?! 入院もしてないのにどうしてこの病院で問題を起こすの?! 喧嘩なら他所でやって!!」
この大部屋の誰かが伝えたのか、あの怖そうな看護師が二人の間に割って入り、容赦なく怒鳴りつけた。とんでもない看護師の登場に斎樹は言葉を失っていた。
「ごめんなさい、怒鳴っちゃって……ちょっと場所変えるから……行くわよ!」
「あー、めんどくせー……」
「ご婦人、待ってくれ……これは矢後が……」
怖そうな看護師によってずるずる矢後と頼城が引きずられて行く。どこに連れて行かれるかは知らない。
「久森、あの看護師……」
「あの人、矢後さんにすごく厳しいんだ。でも、すごく優しいんだよ」
「そうなのか……。で、頼城と矢後さんはどこに連れて行かれてしまうんだ?」
「僕も知らない」
笑顔で回答する久森に斎樹は内心、結構怖くないか、それ、と思ったが口には出さない。
斎樹はふと、この間御鷹と見舞いに行ったときのことを思いだした。久森の母親にあえなく追い出されてしまったのだが、彼女は一体、久森の決断をどう思っているのだろうか。
「そういえば、ヒーロー活動を続けること、親御さんはどう言っていたんだ?」
「え? 母さんはあんまりいい顔しなかったかな……。でも、父さんがお前がやりたいなら最後までやりなさいって言ってくれたんだ」
「そうか……」
「久森副長ォオオ!! やっぱり来ちまいました!!」
斎樹が相槌を打ったところで、騒がしい声が割り込んで来る。ぞろぞろヤンキーの集団が病室に入ってきた。ここまで久森は予測していない。
「えええ……大人数で来られると迷惑なんですけど!」
「みんなで作った、千人針の腹巻っス! 受け取ってください!」
「千人針?! 僕、戦争に行くわけじゃないんですけど! 気持ちだけ、気持ちだけでいいですから……!」
「副長、寝間着ダサくないすか? 何縫います?」
「縫わなくていいよ! あの、本当に気持ちだけでいいですから……」
乗り込んできた自称・舎弟たちに久森はすっかり疲弊した表情で対応する。本当に苦労しているな、と斎樹は内心同情していた。
「……これが風雲児の日常ってやつか……」
「うん、嫌すぎるけどね……。これ、起きなきゃ良かったかな……」
「何なの?! あなたたちはうるさいわよ!!」
再び、どこかから戻ってきた怖そうな看護師が叫ぶ。矢後が入院中によく見る光景だ。
久森にとっての今の日常……風雲児での日常が戻ってきた。
***
久森が退院して、いつも通りの日常が戻ってきた。なんとかしてついてこようとする舎弟たちを撒いて、二人で江波区のパトロールをしていた。
八草川の土手を歩いているが、今日は浮遊している幼生体の数が少ない。恐ろしいほどのどかで散歩でもしている気分になる。しかし、朝のイーター予報では出ると言っていた。
「おい、今日は出んのか?」
「矢後さんの行動から視ましたけど、この辺で出ますよ。中型です」
「いつの間に視てんだよ」
「パトロール行く前、寝てたでしょう。そのときに。寝てるときの矢後さん、便利なんですよね」
「お前、マジで人のこと何だと思ってんの……?」
久森は大概の人間には大人しくて礼儀正しいのだが、矢後相手になると途端にぞんざいになる。親以上に口うるさいのが玉に瑕だが、未来視は便利だし、それなりの戦闘能力はあるので傍に置いている。
「あんときも俺のことオトリにしやがったよな? 結果的に勝ったけどよ。もし、俺が死んだらどうしてたわけ?」
「矢後さんが死なないの、視えてましたから、別にどうも。それに、死ぬのが視えても死なないじゃないですか、矢後さんは」
矢後がジト目で見るが、久森はけろりとした表情で答えた。久森が矢後に笑うことはほとんどない。大概、無表情か、呆れているか、焦っているかのどれかである。
「ハッ、お前はそういうヤツだよなぁ……。今日だって、どこまで視えてんだよ」
「戦闘終了くらいまでは視えてますかね……。あ、足下に気を付けてくださいよ。中型に引っかけられて、矢後さん、こけます」
「クソどうでもいい情報どーも。よーは俺は今日も死なねえってことだな」
「そうですね。ホント、余命宣告されてるのにいつまで生きるんだか……」
「ま、お前よりめちゃくちゃ早く死ぬのはたしかだな。それまで逃がさねーから、逃げんなよ」
「はー……もう諦めてますよ、その辺は」
ため息を吐いた久森だったが、突然サイレンが鳴り響いて、二人は足を止めた。久森の未来視が的中し、ちょうど八草川周辺にイーターが出るというものだった。
「風が変わった……矢後さん、そろそろ出ますよ」
立ち止まった久森がいつもより声を潜めて言う。その片手には七十三番の数字が刻まれた黄色いリンクユニットが握られている。
空間を切り裂くように海を泳ぐエイのような中型イーターが現れた。
「中型でもザコよりマシか……行くぞ、久森!」
「……はいはい」
矢後もリンクユニットを取り出すと片手で割る。久森もそれに続いた。二人の身体が同時に光に包まれ、黒の戦闘服を纏い、イーターと対抗するための準備が整った。
矢後は自分の得物である大鎌を具現化させると、刃を蹴り起こす。その少し背後で久森は光状の糸を引っ張っていた。
本人はヒーロー活動を嫌がっているが、戦闘能力はやはりそれなりに高い。し損じは久森が始末してくれるからこそ、矢後も背中を預けられる。背後の心配はあっても構わないのだが、なければ、思う存分目の前のイーターと遊ぶことができていい。
決して口には出さないが、久森がヒーローを続けてくれていることを矢後なりに感謝していた。
「風雲児、出る!」
敵を前に目をギラつかせ、啖呵を切ると矢後は大鎌を振り上げ、高く跳躍した。
風雲児の二人としての戦いが再び始まる。
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