願いごと

『矢後さん』
『矢後さん!』
『矢後さん、家の前まで来ました』
『今日はラ・クロワのみなさんと合同パトロールです』
『寝てますね? 起きてくださーい』

 八草にある矢後の家の前に辿り着き、ひたすらチャットを入れまくるも既読がつかない。新年からあの人は相変わらずだ。そう思いながらため息を吐くと仕方なく、矢後の家のインターフォンを鳴らした。
『はい? 矢後ですが』
「新年早々すみません、久森です。矢後さんを迎えに来ました」
『あ、久森くんね。ちょっと待っててね』
 矢後の母親の優しい声がして、しばらくしてから玄関のドアが開いた。矢後の母親がニコニコ微笑んでいた。矢後も顔だけなら彼女に似ているような気がするのだが、どうしてこんなに穏やかな母親からあれほど暴力的な息子が産まれたのか、未だに久森には理解できていない。
「あけましておめでとうございます」
「あけましておめでとう、久森くん。さあ、上がって」
 言葉に甘えて、矢後家に上がる。二階の方から騒がしい男女の声がする。母親は二階の方を見てから、ため息を吐いた。
「勇成、起きてるの」
「確かに……起きてますね。出てこないの、ケンカの方だったんですね」
「お姉ちゃんが起こしに行ってくれたんだけど、今は姉弟ゲンカの真っ最中なの……。どっちも怒り出すと私の話を聞かないし、どうしようかと思ってたの。久森くんが来て、助かったわ」
「つまり、僕に姉弟ゲンカを止めろと?」
 新年早々無茶ぶりをかましてくる母親に息子の面影を見る。やはりこの人は矢後勇成の母親だ。
 正直、矢後のケンカに巻き込まれたくない。ロクな目にあったことがない。だがしかし、天下の矢後の母親から頼まれたのならば、行くしかあるまい。期待のまなざしが痛かった。
「分かりました。行きます……」
「頼んだわ」
 重い足取りで階段を上がると矢後の部屋のドアを開ける。矢後とその姉が剣呑な雰囲気で口ゲンカをしていた。さすがの矢後さんも女性相手ならちゃんと手は出さないんだな、となんとなく感心しながら、二人のケンカを眺める。
「ハッ、やっぱちげーわ。小学生にして弟を殺そうとした女はちげーわ」
「あんたには言われたくないわ。小学生にして姉を骨折させて病院送りにした男にはね」
「テメーが殺そうとしたから悪いんだろうが!」
「あたしだって、あんたのせいでどれだけ痛い思いしたか分かってるの?!」
 言い合っているうちに本来の理由を忘れているケースだな、と察しながら、久森は二人の間に割って入った。手が出ているケンカならこんなことはしないが、口ゲンカならまだ久森にも勝機はある。
「あのー、そろそろやめません?」
 片手を挙げて、おずおず二人の顔を見回すと二人とも目を丸くして久森を見ていた。驚く顔、そっくりだなぁ……さすが姉弟。脳裏でそんなことを考える。
「ひ、久森くん……」
「久森、いつの間に来てた?」
「さっきです。お母さんに頼まれて、ケンカ、止めに来ました。なんか論点すり替わりまくって、どうしようもなくなってる感じしますし……そろそろやめません?」
「なんでテメーにそんなこと言われねーとなんねーの?」
「不毛だし、時間の無駄です。お姉さんとケンカしてても何もならないでしょう。ところで、なんでケンカしてたんですか?」
「……忘れちゃった……。あたし、頭に血が上るとどうしてもダメなのよね……。ごめんなさい」
「ははは……そうなんですね……」
 そういうところ、誰かに似ている。チラッと矢後の方を見ると二度寝を決め込もうとベッドに潜り込もうとしている。
「二度寝しようとしてるとこ悪いんですけど……矢後さん、今日午後から頼城さんたちと合同パトロールですから、迎えに来ました」
 釘を刺すように言うと矢後はめんどくさそうに「あのうるせー奴とかよ……」と頭を掻いた。二度寝は諦めたようでのそのそ寝間着のスウェットから着替えを始めている。
 矢後が寝ないか監視しないといけない気もするが、他人のプライベートを覗くのもどうかと思うので、姉と共に部屋を出る。
 二人で階下に降りると母親がお茶を淹れてくれていた。本人は玄関先で隣人と話し込んでいるようである。姉と二人で茶を飲みながら、久森はふとさっき感じた疑問を口にした。
「お姉さんと矢後さんって昔何かあったんですか?」
「姉弟だから何でもあるわよ……」
「すみません、僕、一人っ子だからそういうの分からなくて……」
「いいわよ、別に。さっき言い合ってたのはあたしが昔、勇成の薬隠したこと言ってんのよ。あの子って、昔から気管支が悪いから、吸引型の薬持ってるでしょ? あれを隠したの」
「なんでそんなこと……」
「だってずるいじゃない。あたしのことはお姉ちゃんだし、身体は健康だから何でもできるでしょって放置して、弟で病気の勇成のことばっかり構うもんだから、あの子なんて死んじゃえばいいのにって……魔が差しちゃった。案の定、あの子がひどい発作起こして、救急車呼ぶ事態になっちゃってね……」
「……」
「親からは当然、怒られたわよ。それで病院から帰ってきた勇成にはお礼参りされて、脚を骨折したの。それであたしも病院にしばらく入院することになったわけ」
 話し終えて、姉がため息を吐く。実際の姉弟は一人っ子の久森が描いていた姉弟像とだいぶかけ離れているのは間違いないようだ。
「……正直、お兄さんやお姉さんは無条件に下の弟妹を可愛がってくれるもんだと思ってました、僕」
「あたしだって、久森くんが弟なら可愛がってるかもね、すごく。でも、実際の姉弟って違うもんよ。そこのところ、一人っ子だから分かんないか」
「すみません」
「謝んなくていいわよ。あれからあたしもだいぶ反省して、あいつとはそれなりにうまくやってんだから。普段はそれなりに仲良いのよ。たまにあんなケンカするくらいで。親もあれからあたしのことも大事にしてくれるようになったしね……。今じゃ、お母さんも娘がいて良かったわーって言ってくれるし。まあ、将来親が頼れるのはあたししかいないしね」
「正直、あの人、いつまで生きるか分からないですしね」
「親より先に死ぬなんてことはやめてほしいわよね。小さい頃から面倒見てもらってるんだから、寿命くらい親孝行しなさいよってね。このまま順調に余命延長記録更新してさ。できる限り長生きして欲しいわよ。ジジイになるまでね。一応、あたしの弟なんだし。まあ……それで、あたしに頼られても困るんだけど。そのときは久森くん、よろしくね」
「えっ、なんでそこで僕なんですか?」
 姉の突然の大暴投である。しかし、久森も将来の矢後の面倒を見るつもりはない。
「行くぞ」
「えっ、はい」
 いつの間に階下に降りてきたのか、矢後が久森のコートのフードを掴む。
「テメーに頼る気なんてねーよ、姉貴」
「は? あんた一人じゃ何もできないでしょ」
「ほらほら、ケンカしないで。矢後さん、行きましょう」
 再び姉弟の剣呑な雰囲気を察知した久森は矢後の背中をぐいぐい押して、家を出た。隣人の話に夢中の母親の脇を通り過ぎて、二人の足は神社に向かっていた。ラ・クロワのメンツとの集合場所はそこだった。
「頼城さんたちを待ってる間、初詣でも行きましょうか」
「人混みとかだりーんだけど……」
「今年もつつがなく、平穏無事に一年を過ごせますようにって神様にちゃんとお願いしないとダメでしょう。特に矢後さんは」
「平穏無事とかクソだりーわ」
 矢後がだるそうに頭を掻く。確かに病弱なくせに戦うために生まれてきたような人間だから、そういうことはつまらないのだろう。
 しかし、矢後に長生きして欲しいのは矢後の家族だけではなく、久森の願いでもあった。

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