嘘のしかえし

200222公開
月末矢後のアンサー的な


 もう年末だというのに矢後がまた病院に搬送された。ヤンキーたちは矢後が発作を起こしてすぐ応急処置をし、救急車を手配してくれたようだ。矢後のお陰で彼らはそこらへんの大人よりも手際がいい。余命宣告をされている総長を持つと自然とそうなってしまうのも仕方がないのかもしれない。
 萌黄が本社での仕事を終えて病院に向かうまで、付き添ってくれていた久森たちを寮に帰し、ベッド脇のパイプイスにどっかり座り込む。時計を見れば知らないうちに夜の十二時を過ぎていた。ふああ、と一つあくびをすると背もたれにもたれかかって、目を閉じた。近頃、遅くまで仕事をしていたので、何かしていないとすぐに眠くなる。小さな頃は大人になれば、たくさん夜更かしできるようになって、楽しいだろうなと思っていたのだが、仕事で徹夜をするなどつらいだけである。
 帰り際、未来を視た久森はまた明け方に矢後が起きてベッドを抜け出していくと言っていたが、萌黄としては別に矢後がベッドを抜け出そうが構わなかった。入院生活はとにかく暇だ。たまにはストレス解消や気分転換くらいしておかないと気がおかしくなってしまう。
 別に矢後の好きにすればいいと思っている萌黄がここにいるのにはもちろん理由がある。矢後とまた、屋上から見る明け方の景色を見たかったからだ。
 あの日、吐かれた嘘の真意を萌黄は未だにわかっていない。

――― この時間の、ここの景色。見せよーと思って。お前に。

 矢後がそんなことを本気で言うなんて思わず、すぐに嘘だと言って、笑ってしまった。

――― はは、お前俺のことなんだと思ってんの。

 そう言って、笑う彼の顔があまりにも優しかったものだから、嘘だと決めつけてしまったことを少し後悔した。もしかしたら、本当だったのかもしれない。それは萌黄が都合がいい風に考えているからそうなっているだけで、本当に嘘だったのかもしれない。わからない。彼が言ったのが嘘だったのか、本当だったのか、わからない。
 まだ矢後はすやすや寝ていて夢の中だ。とても重病人だとは思えない。ベッド脇の床に膝をついて、シーツに肘をつくと矢後の顔を覗き込む。
 くすんだ砂色の猫っ毛、戦闘時は不敵に歪む眉、意外と長い睫毛、目の下のほくろ、薄い唇、そして、頬に貼られた大きな絆創膏。倒れるまでどんなケンカをしていたのだろうか。顔の絆創膏以外にも矢後の身体には包帯や絆創膏が点在していた。
 普段ならキスくらいしたかもしれない。だが、相手は今日発作が出たばかりで一晩を病院で過ごしている。とてもそんな気になれなかった。
 ふう、と一つため息を吐くと少し眠くなってきた。矢後につられたのかもしれない。まあどうせ、矢後が何をしても気にしないのだから、少し寝たっていいだろう。そう思って、ゆっくり目を閉じた。

 ベッドが軋む音で頭が少しずつ覚醒する。俯いたまま、視線だけ前に向けるとちょうど矢後がベッドから脱走するところだった。鬱陶しそうに病衣の前を閉じる紐を解きながら、廊下へと出て行く。それを見届けてから、萌黄もその後を追った。
 矢後の足はやっぱり屋上に向かって行った。以前と同じだなあ。そう思いながら、そっと扉を開ける。
 まだ夜は明けておらず、屋上からは不夜城のビルとちらほら灯りがついている家々が見えた。港の方からボー…と静かな汽笛の音がする。そして何より……
(うっわ、寒っ!)
 冬の屋上は当然ながら寒かった。特に何の防寒もなくこんなところに来てしまった己を呪いながら、自分の腕を抱きながら、屋上に佇む男を見据える。病院の薄い病衣だけという萌黄よりずっと寒そうな格好をしているのに平然として、景色を眺めている。
「お前、寒ないんか?」
 カタカタ震えながら訊ねると矢後はゆっくりと振り返る。今気がついたとばかりに少しだけその目を丸くした。
「お前、んなとこで何やってんの?」
「いやいや、こっちのセリフやそれは……。そんな格好でよう屋上出よ思たな?」
「気分転換」
 黒いタンクトップ姿でさらっと矢後が言ってのける。見ているだけで寒い。仕方なくスーツのジャケットを脱ぐと矢後に羽織らせる。自分はシャツだけになってしまうが、下に温かい下着を着ているから、矢後よりマシだ。
「何」
「矢後……お前は寒さも感じひん身体やったか? 寒いから羽織っとけ」
「別にいらねー」
「見ててワシが寒い」
「ハ、そーかよ」
 萌黄を一瞥して、笑う。ジャケットを突き返さないあたり、萌黄のいうことを受け入れてくれているらしい。羽織ったまま、矢後はフェンスにもたれかかった。
「前もこういうこと、あったな」
「おー、そーだな」
「あのときのあれは、嘘かホンマ、どっちやったん?」
「知らねー」
「知らんて……自分の言うたことには責任持てや」
 発言をはぐらかす矢後に大きなため息を吐く。この男といるとため息が吐きない。可哀想に、久森はもっと吐いていることだろう。
「嘘だろうが、ホントだろうが、どっちでもいーだろ。そんなの」
「ようないわ、そんなん。そもそもお前はな……」
「あーあ、めんどくせーし、うっるっせーな、お前」
 萌黄の小言に矢後が鬱陶しそうに耳を塞ぐ。もっと真面目に話を聞け、と言いたい。
 徐々に東の空が白んできた。そろそろ夜明けだ。チュン、チュン、とどこからか雀の声が聞こえてくる。
「で、なんでお前こんなとこいんの? さみーって言ってたくせに」
「え? お前とまた、ここで夜明けを見たいと思って」
 そう答えると矢後が呆れたような視線を向けてきた。
「嘘だろ」
「えー、ホンマもホンマやで。あのときのことが忘れられへんでなあ……」
「返事からして噓くせーわ。ぜってー嘘」
「はー? お前の方こそワシのこと何やと思っとんねん」
「うるせーやつ。お前がうっとーしいから部屋戻るわ」
 羽織っていたジャケットを萌黄に押し付け、矢後はさっさと歩いて行ってしまう。再びジャケットに袖を通しながら、萌黄もそれを追いかけた。
「ははは、あのときの仕返し、成功やな」
「はは、お前って、ホントめんどくせーやつ……」
 本当に本当だったのだが、矢後の顔を覗き込みながら言うと呆れたように笑っている。悪くは思っていないようだ。それに少しホッとした。

200222