一話

2019.1.18公開

 昔から自分以上に自信を持っていない人間がいないということだけに自信があった。

 その証拠に今いる場所でも一番末席に存在していると思っている。自分以外のヒーローはみんなキラキラしていて、他人のために戦える素晴らしい人間が揃っている。もちろん、そのうちから一人は除いている。あの人は自分のためにしか戦わない。それでもべらぼうに強いから存在価値はある。
(この未来視だって役に立ったことはあまりないなあ)
 久森がどれだけ死ぬ未来を視たところで矢後は死なない。運命を変えられる人間がこれだけ揃っているのだから、自分一人がいなかったところで問題はない。安心してヒーロー登録を解除して、平穏な生活に戻りたいのだが、そのことを考えると心にぽっかり穴が空いたような感じがするのだ。
(僕はここにいる価値があるのだろうか……。ない方がいいのに、どうして悩んでいるのだろう)
 それが近頃の久森少年の悩みの種の一つであった。
 中学時代、表立っていじめられていたわけではないが、明らかに久森だけ浮いていた。小学生時代、クリスマスで大失敗して以来、あまり人と関わらないように生きてきた。それまで仲良く遊べていた友だちとも遊べなくなり、知らないうちに疎遠になっていった。今では彼らを避けるほどだ。もしかしたら彼らは久森のことなど忘れているかもしれないのに。
 今でこそ、斎樹や御鷹という友人やヒーロー仲間はできたが、自分が彼らに釣り合うかどうかは疑問だ。今、ここでも浮いていると思う。勿論、風雲児高校でも浮いている。一体、自分がどこにいれば落ち着くのか。自分が何なのかすらも分からない。悩みが一つ生まれれば、さらにぽこぽこ生まれてきてしまう。久森は今まさに迷走中であった。

「僕ってここにいる意味あるのかなあ……」

 斎樹に淹れてもらった紅茶の波紋をぼんやり眺めながら、ため息を吐く。紅茶より緑茶派であまり詳しくないが、斎樹の淹れてくれる紅茶はいつもいいにおいがする。
「なんだか疲れているようだから、アールグレイにしたんだが、正解だったようだ」
 久森の呟きを聞いたのか、斎樹が苦笑いを浮かべる。
「いつにも増して、疲れているようだが? アールグレイは胃にも優しいからちょうどいいぞ」
「ありがとう、斎樹くん……。最近、よく考えるんだ。僕はそんなに強くないし、ここでの取り柄なんて未来視くらいしかない。でも、それもあまり役に立っていないような気がして、最近ずっと悩んでるんだ。このまま、ヒーローを続けていてもいいのかなって」
「ずっと辞めたいって言ってたのに、そんなことを考えているのか」
「ヒーローなんてガラじゃないし、そりゃ逃げたいし辞めたいとは思っているけど、本当に辞めちゃったら、それはそれで何かが違う気がするんだよね」
 まだ湯気を立たせている紅茶をちびちびすすっては、はあ、と久森がため息を吐く。
「僕はどうしたいんだろう」
 自分で自分をどうしたいか分からない。それがまた深まる謎だった。
「でも、お前はまだヒーローを続けている。きっと、多少なりヒーローでいたいという気持ちの表れだろう。俺だって向いていないと分かっているが続けている。きっと同じ……」
「いいや、きっと違うよ。僕と斎樹くんは。君たちは人のために戦えるじゃないか。僕がヒーローになったのは矢後さんに未来視と血性があることがバレたからだし、僕自身がなろうと思ってなったものじゃない。僕は自分がどうして戦っているか、分からないんだ。僕は普通の一般人として平穏に暮らしたい、でも、ヒーローを辞めたくない。……僕はもう、自分で自分のことが解らないよ」
 まさに迷走中、といった久森の様子を見て、斎樹はため息を吐いた。きっと今の久森に何を言ったところで彼には何も聞こえない。自分自身で答えを見つけるまで、斎樹には待ってやることしかできない。
 久森は自分以外の未来は視えても、自分自身の未来は視えない。今の彼は目の前が霧で覆われているような状況なのだろう。
「俺ではお前の助けになれない。でも、きっとお前ならその答えを見つけられるだろうと信じている。だから、今は思う存分悩むといい」
「ごめんね、心配かけて。やっぱり斎樹くんは大人だなぁ……」
 斎樹が笑いかけるとやっと久森も笑顔を見せてくれた。その笑顔を見て、斎樹もほっとする。まだ笑える余裕があれば、きっと大丈夫だ。そう思って。

***

「久森がいなくなったって?」

 指揮官執務室で志藤からその報告を受けた指揮官……萌黄要はスポーツ新聞から顔を上げて、目を丸くした。志藤の周りにはジャージ姿の戸上、朝帰りの頼城、まだ寝間着姿で欠伸をしている矢後、やたらニコニコしている北村と各校リーダーが揃い踏みしている。朝から集めてきたらしい。
「はい。朝のトレーニングに現れないものだから、部屋まで行ったんですが、もぬけの殻で……。嫌々でもサボるような奴じゃないんですがねぇ……」
 まず、志藤がため息を吐く。ヒーロー全体をまとめるリーダーである彼としては他校とはいえ、一人消えたのは由々しき事態だ。
「俺、見たぞ。早朝、走り込みをしていたら、やたら大きいリュックを背負った久森と挨拶を交わした。そういえば……目が泳いでいたな」
 戸上が片手を上げて、とんでもない報告をした。矢後と北村以外の一同が思い切りずっこける。
「宗一郎、それは出て行く決定的瞬間さね……。挨拶以外、何も話さなかったのか?」
「おはようございます、とだけ言って、走るように去って行った」
 よろよろ立ち上がった志藤に戸上は片手を押さえながら答えた。なかなかツッコミどころ満載である。
「いやいやいや、そこはどないしたんや! って止めろや!」
「アハハ、戸上サンってホント面白いよねー!」
「何もおもろないわ! ホンマに……。まあ、今更言うても後の祭りか。これからどうするか考えよか」
「そうですねぇ……」
 萌黄に言われて、志藤が腕を組む。
「とりあえず、後で久森の家、見てみよか。それから、久森の実家には連絡しとくわ。帰ってるかも知れへんし」
「まあ、その辺りですね……。他は俺たちにはまったく見当もつきませんしねぇ。あいつは先輩にはあまり自分のことを話さないから。俺は寿史に話を聞いてみます」
「矢後は心当たりないのか?」
「あ? 知らね」
 戸上に訊ねられ、それまでヘアバンドを弄っていた矢後がやっと顔を上げる。みんなが思った通りの回答に北村と戸上以外がため息を吐いた。頼城が怒ったように眉尻を上げる。
「まったくお前は……久森は同じ学校の後輩だろう? 心配ではないのか!」
「知らねーから知らねーって言っただけだっつの」
「どうして知らないんだ? お前はそれでも学校リーダーか?」
「別にリーダーだからってなんでも知ってなきゃなんねーこともねーだろ。うちはお前らみたいにベタベタしてねーもんでな。お互い好き勝手やってんだわ」
「確かに風雲児はある程度の距離を保っている印象はあるな」
 頼城がまた何か言おうとしたところで戸上が腕を組んで、矢後の言葉に頷く。
「でも仲悪いって印象はないんだよねー。矢後サンが久森サンに怒られてるの見るとまたかーって思うし! ホント、矢後サンってしょーがないクズだよねー! 親近感湧くなー!」
「いやいや、湧くな湧くな! 他に心当たりある人いますか?!」
 脱線しかけた会話を萌黄が無理矢理押し戻すと頼城が「そういえば」と口を開いた。
「巡が言っていたな。この間、久森の様子がおかしかったと」
「なんや? あいつの様子がおかしいのはいつものことやろ?」
「萌黄さん、あんた、一体久森を何だと思ってるんですか……」
「この間、二人で茶を飲んでいるときに自分がここにいる意味があるのか、自分がどうしたいのか分からないと思い悩んでいたそうだ」
「うわー! 典型的な思い詰めた陰キャのセリフだね! そのままどこかに行っちゃうところもまさにテンプレートだよ! アハハ、さすが久森サン!!」
「笑っとる場合ちゃうやろが!」
「ああ、この頼城が相談に乗ってやれば良かった。頼城さんを頼りなさいといつも言っているだろうに……。巡もそう言っていた。あのとき、もっとよく話を聞いてやれば良かったと」
 頼城が大きく手を広げ、大袈裟に嘆く。彼の嘆きは戸上に伝染した。
「そうだな。朝、俺がもう少し話をしていればこんなことにはならなかったかもしれない。俺はいつも気づくのが遅い」
「頼城、宗一郎……」
「頼城も戸上も、今更何言うてもしゃーないやろ……」
「今は探す……って矢後、どこに行く?」
「だりーから帰って寝る。久森ならほっときゃそのうち戻ってくんだろ」
 ふああ、と再び欠伸をしながら矢後は執務室から出て行ってしまう。その様子を見て、頼城がわなわな震えている。
「なんという奴だ! そもそもの話、奴がもっとちゃんとしていればこんなことには……」
「ボクは矢後サンがしっかりしてたところで一緒だと思うなあ。元々、久森サンって、ヒーローになりたくてなったわけじゃないんでしょ?」
「高校に入ってすぐ、矢後に生まれ持った未来視とヒーローとしての血性がバレて、なし崩し的にやることになったと聞いたことがある」
「そんな経緯でここまで続けられてるとか逆にすごいな。普通の奴なら辞めるところさね……」
「うむ……元々、そういう運命だったのだろうな。その運命が矢後絡みというのが不憫でならない……」
「ボクは矢後サンが引き寄せたんじゃないかなって思う。本来、ヒーローとして戦わなかったはずの久森サンの運命を捻じ曲げたのは矢後サンだし、本来ならもうとっくに死んでるはずの矢後サンの運命を捻じ曲げ続けているのは未来を視ることができる久森サンなんだよね……」
「北村、何言うとるんや……?」
「ニシシ、独り言だよ。だから、案外、矢後サンが探しに行ったら、あっさり見つかったりしてね」
 いたずらっ子ここに極まれりといった笑顔を浮かべている北村に一同は首を傾げた。
 彼らが矢後までいなくなったことに気づくのは二時間後のことだった。

***

 朝、目が覚めるとなんだかいつもと違う、おかしな感じがした。なんだか嫌な予感がして、未来視をしてみようと試みたが、集中しても未来は視えず、目を開けてもいつも通りの自分の部屋がそこにあるだけだった。

 未来視ができなくなった。

 そう理解すると久森はいきなり怖くなった。自分はここにいてはいけない気がして、気がつけば荷物をまとめていた。二日分の衣服と下着、スマホなどの充電器、そして、財布などの貴重品をリュックに詰めるとさっさと着替えて、合宿所を飛び出していた。途中で会ったのが戸上で良かった。他の人間なら問い詰めてきたところだろう。しかし、マイペースな彼は久森を引き留めることもなく、ランニングに戻って行った。
(でも、これで良かったのだろうか)
 電車の車窓から外を眺めると都外ののどかな景色が広がっている。鈍行電車でも二時間も乗っていれば、随分遠くまで来られるものだ。
 合宿所に詰めている自分が勝手に飛び出してしまって、大丈夫だろうかと少し心配になったが、今日の予報ではイーターは出ないとあった。だから、電車だって順調に進んでいる。
 ヒーロー十四人と指揮官、神ヶ原と両親の番号は着信拒否にしている。そのままにしていれば、見たこともない件数が並ぶことだろう。
(いや、それは思い上がりすぎだな。僕のことを心配してくれるのは親と斎樹くんと御鷹くんと……後は頼城さんくらいかな。矢後さんは論外だろうし)
 そもそもの話、自分一人いなかったところで戦闘に支障はないはずだ。未来視が大きく戦局に影響したこともない。自分がいないところで問題ない。ヒーローは十四人でうまく立ち回ることができる。久森は内心、自分にそう言い聞かせた。
 どこか間延びした電車のアナウンスが次の駅が終点であることを告げる。次の乗り換えのため、スマホのアプリを見る。乗り換えは向かいのホームのようだ。なかなかスムーズでいい。
 間も無く電車が停車して、乗客たちが次々に降りていく。久森もリュックを背負うとそれに続いた。
 電車を下りるとホームに燦々と輝く太陽の光が差し込んでいた。電車に乗り込んだときよりずっと日が高くなっている。電車の中では分からなかったが、蒸し暑い。立っているだけで汗ばんでくる。
 ぱたぱた手で首元を扇ぎながら次の電車の確認をする。向かいのホームにある電車がそれのようだ。まだまだ出発には時間があるから、ドアは開きっぱなしで席取りをしている乗客が弁当を食べたりしている。
(そういえば、朝ごはん食べてなかったなぁ……)
 人が食べているのを見るとお腹が鳴りそうになり、思わず腹を押さえる。ここは本能に忠実になろう。そう決めて、ホームにある売店に向かう。
 萌黄から都外はそんなにイーターが出ないから、東成都に初めて来たときは怖かったと聞いたことがある。イーターが出ないなら、今の久森に使命はない。さらには未来視もないし、この周りに久森を知っている人間はいない。

 この場で久森晃人は普通の少年であった。

(今の僕は自由だ……)
 使命と未来視がないというだけで、なんだか身が軽くなったように感じる。勝手に抜け出した罪悪感で重くなっていた気持ちが晴れてきた。
「すみません。これください」
 売店でいなり寿司のセットとペットボトルのお茶を手に取るとパート店員に差し出す。しかし、そこに割り込む手があった。手には週刊の漫画雑誌とおにぎりがあった。
「これも一緒に」
 聞き慣れただるそうな声にギョッとした。カクカクぎこちない動きで横を見ると風雲児の総長で学校リーダーである矢後勇成がそこにいた。大きなバックパックを背負った久森に対して彼はふらりと近所のコンビニに出掛けるような身軽な格好をしている。持ち物といえば、尻ポケットに突っ込んだ財布くらいなものだろう。
「よう」
 久森と目が合うとまさに獲物を捕らえたとばかりの笑顔を向けてくる。いくら使命や未来視から逃れられても、矢後からは逃れられないらしい。
「え、えええええええ!?」
 突然悲鳴を上げた久森に周りがみんな振り返った。